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随想24 マルクスの経済学批判

眠くなったら寝るに限る。

 

 

しくじり先生中田敦彦マルクス資本論について扱っていた。といってもまだ18歳の頃の生田絵梨花や、お亡くなりになったあき竹城などが出演していて、わざわざこのためにシンガポールから日本に来たわけではなくて、おおむね7〜8年前の映像の再放送だったようだ。そんなに前なんだな。レギュラーキャストの顔を見ても最近とほとんど変わらず、まったく時間経過に気付けない。これも時間経過の速さということなのかもしれない。深夜番組時代に、深夜によく通っていた今はもう無い中野の網焼き屋に設置されていたテレビで見ていたことを思い出す。その店のマスターはメキシコの高校から上智大学に入学して、その後はエンジニアとして働いていたがなぜか辞めてこの店を始めた不思議な人で、見た目は完全にヤクザだった。美味い店でいい店員がいて、品質に対しての価格もよかったが、価格をコントロールできず営業計画が立ち行かなくなった。飲食は特にわかりやすいが、会社をやっていくというのはとても難しいことだ。閑話休題。中田の偉人しくじりシリーズは、他の人たちが自分の経験について語っているのに対して、人の話を整理しているだけだから対して面白くないと思っていたが、このマルクスの話は、生徒を巻き込んで謎解き的に話を進めていく仕方に洗練があり、ずいぶん面白く、よくできているなと思わされた。非常によくできていたといえるが、関係ないところで若者が内容に苦言を呈しているのを見て、真面目なことだと思ったと同時に、たしかに中田は無理やり教養をエンタメ圧縮して話すので、YouTubeがよく批判されていたな、と思い出した。とはいえ今回の圧縮には美を感じるレベルであって、戯画的ではあったが、一時間でエンゲルスの思想やレーニンスターリンについて掘り下げることなどできるわけないし、逆にそれほど思いつめた背景を若者の番組批判にも感じられなかったので、何が君をそこまで、と思ったのだった。僕は、マルクスを読むためにヘーゲルを読み始めて7年くらい経ったが、ぜんぜんマルクスに戻れない。マルクスは文学として読むととても面白いし、貨幣の呪物性の問題は、カントにおける理性的限界や、自然、アフォーダンスなどの問題と絡み合っていまだに謎めき、そしてアクチュアルであり続けていると思うが、そう考えるとやはり柄谷行人が大事なのだと思うばかりであった。マルクスもよいがエンゲルスもよく、特にヘーゲル小論理学とエンゲルスの解説、それからフォイエルバッハ論の流れをしっかり読まねばと思うが、こうして見るとマルクスエンゲルスはそのバックエンドから考えても極めて理念的かつ抽象的高度の高い哲学的議論をしていると思わされる。それは宗教的高さを秘めているが、宗教の語彙を使ってしゃべると急に色彩が変わるような何かであって、たとえばヘーゲルを媒介にキリスト教の話を考えようとすると急に全く風味が変わる。この辺をある意味でスノビッシュに架橋していたのが佐藤優だったが、政治(公)の問題ではなく私の問題として宗教的世界観を考えていたのがキルケゴールだったとあてはめるにしても、キルケゴールもまたちょっとマルクスエンゲルスとは違うのであって(とはいえむしろ比較をするとある種の同質性こそ強く感じられてもくるが)、マルクスエンゲルスの呪物論は本当に無神論的神学である。これは本当にすごいことをやっていて、アダム=スミス的なラインから入ると理解しやすいが、一方でケインズ以降の統計的マクロ経済学(あえて「科学的」とは言わない)、もしくは行動経済学的な視座とは全く異なる神学的視座を持っており、考えれば考えるほど見事な経済学批判となっていて、経済という(無)神の秘密にマジで人類史の中で最も肉薄した人のように思われる。その次に肉薄したのはおそらくモースやレヴィ=ストロースであって、経済学では経済学に肉薄できないーーということを体現しているのがまさに柄谷であった。すっかり道を迷っているが、安冨歩などもその路線で見直すべきかもしれない。

 

 

あまりにも忙しく、2ヶ月以上書くのをサボってしまった。ついこの前まで2月だったのにと思っていたが、そもそもこの日記ではまだ1月だ。何かを継続するというのはとても難しい。それ以上に時の経過が異常に速く感じる。それでもやっていることはあるので何かは進んでいるのだが、やらなければならないけれど手がつけられないことは重しのようにのしかかり、時の経過に従って重さを増していく。プラスアルファで、寝ても体力が回復しなくなった。このせいで無理が効かなくなった。一日に2時間も打ち合わせを持ったらもうおしまいだ。朝からずっと仕事をしていると、15時くらいには力尽きる。目眩がして物理的に動けなくなる。もはや病気では?と思うが、実際病気なのかもしれない。それとは無関係に普通に一日二日は病気でぶっ倒れたりしているので、割に合わねえと思うばかりである。筋トレを復活したいところだが、したいと言っている間にすべきである。寝具を刷新したほうがいいかもしれないが、そもそも雑魚寝で倒れ込んでいることも多く、どちらかといえばこれが悪い気もするが、まともな布団で寝ていても回復しない感じになってきたのでどうでもよく思えてくる。しかしこういうこともまた日々の積み重ねであろうとは思うので、まともな寝床で寝るのがよいだろう。普通に考えれば。あと眠くなってからも往生際悪くあれをやらねばこれをやらねばと粘るのだが粘った際の能率はゼロなのに罪悪感があって寝られないが、これは諦めの問題であって、眠くなったら寝ることが最大のライフハックである。眠くなったら寝るべきである。