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随想8 レヴィ=ストロースの机、ヴィトゲンシュタインの仕事

レヴィ=ストロースの机は散らかっていたということで有名だし、批評家崩れの家なるものは本やそれに類するもので雑然としているに決まっているのだが、近年の僕の実感は、誰もいない他になにもないまっさらな机を確保することが”仕事”には有用だ、ということだ。

この"仕事"というのはヴィトゲンシュタイン的な意味を込めて使っているーー彼における"仕事"とは哲学の思考のことーーが、クリエイティヴィティが絡むなら労働や業務も含めてよい。何なら、ただこなすだけのはずの業務であってすら、そこに段取りが絡むとなると、けっこう脳を使うので、仕事として考えてもよいかもしれない。仕事を拡大解釈しすぎているか。

こういうことを言うのは、加齢に伴い脳の持久力が衰えているからだ。集中力と言ってもいい。もともと生来気が散りがちだが、精神的負荷がかかる経験で摩耗したり、単純に年がいって持久力が衰えると、集中が長く続かない以前に、集中に入れなくなる。イチローではないが、精神を集中するルーティンが重要になってくる。それを動作だけで行うことができれば便利だが、たいていは動作だけでは無理で、やはり環境を整えることが大事となる。雑然とした空間は残念だがたいていは集中の阻害だ。

こういうのは一事が万事だが、たとえば爪が伸びているのも集中の阻害。なぜかというとキータッチの邪魔だから。時が経つのが速すぎて、昨日切ったはずなんだがな、と思うも、気づくとタイピングの邪魔になるくらいに伸びている。

ともあれそういうわけで生真面目に隔離を守っているが、隔離空間は雑然としており全く仕事が進まない。なにもない小部屋を確保していたのだがそこも使えないし、同様に喫茶店も図書館も使えない。関係ないが禁煙したのでルノアール以外を使う選択肢が復活してきたのは便利だ。電子タバコを吸いながら仕事ができるのは基本的には実に快適だった。

ずっと頭を悩ませていた巨大な腫瘍のような問題として作家に絵の発注をするというタスクがあったが、それを決めるためには作家と内容の相談をする必要があって、その相談がまとまらずどうしようと悩んでいて、その悩みを十分に解決できるだけの体力的効率的余裕もコロナによって失われていた中ではあったが、悩みあぐねた挙げ句、また作家と相談してなんとか苦境を脱出し、発注を依頼するところまでこぎつけることができた。だいぶ遅れてしまった。何と言って怒られるかわからなくてビクビクしているが、それでも出すと出さないではゼロと1の差。こうならないために日々の生活を頑張っていたが、忙しすぎるし緊急性だけは髙い雑務が連続して挟まれてくるしで首が回らない。ひどいものだ。かなり事前からの周到な準備をしなければこの問題は解決しなそうだし、もっと人集めをしないといけないな、という感じもしている。この問題もう10年は悩んでいる気がする。

おかげで残念なことにUMB2022の中継をほとんど見ることができなかった。こんなものを流しながら仕事をすることなんてできるわけないのだが、SKJと脱走のラップを見たかったので残念だ。晋平太が初戦で敗北したのでどうなるかと思ったが、どうにも有名ラッパーが姿を隠した大会なので、優勝するのはニガリかSKJかと睨んでいたところ、実際にSKJが優勝したようだ。その勇姿を見たかったな。ちょっと聞いた限りではかかっているビートがアングラ的で、なんとなく昔のUMBっぽさを感じた。いいことだと思う。

心理的な不安が消滅したわけではないが、でかい腫瘍を片付けたおかげで1日2日は休める気がしているので、この隙に師走らしく大掃除をかまし、ゴミを捨ててスペースを空けたいと思うのだが、捨てたいゴミのでかいところが粗大ゴミで、粗大ゴミはすぐに捨てられない。困った。

坂上秋成から酒に誘われ、コロナだからと断る。俺が酒を飲みに行く数少ない相手。残念だ。