ym

随想20 仮説思考と言語化

仮説思考が大事だな、とふと思った。仮説思考はビジネス界では流行っていた言葉だが、当然アカデミズムでも重要であり、ゲームなどにおいても重要である。抽象的に言えば戦略の話であり、これを使うことは戦略的、ということになる。

 

仮説思考の横にあるのが問題発見-問題解決のコンサル的パッケージだが、社会起業家でもなければでかいレベルでの問題発見は解決に当たる問題にはできない。たとえば少子化をどうにかしたい、と思っても個人ではどうにもできない。もちろんこれも思い込みであって、この不可能に見える課題に取り組んだ人にブレイクスルーがある可能性は大いにあるが、蓋然性で言えば釣果に辿り着けない見込みが大きい。したがって問題発見よりは問題選択の方が重要であり、その選択も含めて発見だと言われれば、まあその通りだということになる。

 

とはいえ問題なんてみんな金を稼ぎたい、楽になりたい、嫌なことはしたくない、有名になりたい、、、あとは人の役に立ちたい、自己肯定感を得たい、より素晴らしい作品を作りたい、勝ちたい、何かに秀でたい、といったようなものであるだろうから、それ自体は深刻でもありふれているので、何をやるかよりもどうやるかの方が重要に思える。どれに取り組んでも成功できるなら、もしくは満足できるなら、それでよいのだが、できないならいずれでもまずい。

 

そういうことで成功の技術として仮説思考について考えていた。正直20年くらい前から手を変え品を変え口を酸っぱくして言われてきたように思うし、書籍のトレンドとしてもずっとあったというのに、まともに身についた覚えも、やってきた気もしない。が、つくづく大事だと年始に改めて痛感した。戦術的なレンジで言えば、要は、先を読んで行動するということだが、先読みは大事だ、少し先のために準備することが大事だ、という認識はけっこう前から持っていた(何事においても実行できているかといえばまた別だが)。

 

とはいえ仮説思考はそういう先読みの話ではなくて、どちらかというと逆算の話であるが、見えているものの逆算(バックワードスケジューリング)くらいのことはたまたまそこそこ僕はしてきたのだが、仮説思考は見えていないことを織り込むことだと言える。見えていないことを織り込むためには見えるようにしなければならない。つまり、言語化が必要だ。

 

たまたま今は目先の事件対応やコンテンツ企画のためにそれを差し向けていたが、概ね、それは全てのことに言えると思う。全てのことに採用できれば、恐らく、それらについては全て気配りができている状態を実現できると思う。

 

そういうわけで、最近はコンテンツ制作に関する戦略のことをそこそこずっと考えていた。

 

 

 

色々なことがありすぎて十日坊主。本当に世界には色々なことがある。荒波でも何かを継続できる何かこそが人間性を保つと思うのだが、なかなか難しい。