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随想29

頭が割れるように痛い。さっさと別にこれが理由というわけでもないが仕事にならない。そのことのわかりやすい理由とでもなるかのように生じている痛みだとすれば、あまりにも迷惑にすぎる。群発頭痛の手前ほどの痛みではないかと思う。そうであるならばさっさと病院に行くべきでしかないのだが、これまたあまりにも気が進まなすぎる。直接的な契機は、長年に渡る禁煙を数年前にやめて以来、吸ったり吸わなかったりを繰り返すなか、最近はあまりにも電子煙草を吸いすぎているのだが、頭が真っ白になって目眩がひどくなるのでgloをやめて、iqosを混ぜるという仕草を行っていた。電子はタールが出ないのでその分吸いやすいという逆説的特徴があり、かえって吸いすぎてしまうので途中で逆に紙煙草を混ぜるとやりすぎずに済むという、おかしな感触を得ていたのだが、火をつけて紙を燃やす煙草を途中に混ぜるとあまりにも管理がだるすぎるのでそれも嫌になり(味が嫌いなわけではない)、gloとiqosを混ぜることになった。余談だが昔VAPEをやっていたがあれは全く空疎な上記であってほとんど意味がないが、意味がない割にとにかく不健康そうな蒸気を吸う羽目になりそうで、僕も完全に捨て去ったしい今となっては全く情報を見ることもなくなった。第三の電子煙草といえばploom TECKで、これはライターを持ってはいないが、バーで自由に吸えるというサービスに接したことがあり、何回か喫したことがあるが、悪くないなと思った。後述の理由により、これも導入する可能性がある。

 

電子煙草など吸わぬでよいなら吸わないのがよいに決まっているのだが、様々な病みによってこの悪癖に囚われてしまっている身分においては、離脱を目指したいのはやまやまだが、意味がないどころか有害なのに吸い続けてしまうような矛盾に襲われる。それをどうするかはまた別問題なのだが、とにかくgloはたくさん吸える代わりに肺や脳に白煙が満ち渡るような感覚があり、それが別段快感だということはないどころかむしろどちらかといえば不都合なのだが、そのようなことによって身体の動きも鈍化して停止へと向かうことになる。これは紙煙草におけるヤニクラに似ているかもしれない。ところでこれは意外かもしれないが、gloとiqosでは当たりが違う。当たりというのは触り心地で、味わいともまた違う感触なのだが、効いている部位が違うという感じがあり、吸うことによって痛む部分も違うという感じなのだろうと思う。変な話だが、gloを吸った状態でこれ以上吸ったらヤバいなと思うところでiqosに切り替えると、それまでとは違うポケットに入るようで、総合的な健康としてはさらにヤバいと思うが、短期的には苦しまずにまだ吸える。まさに別腹である。何ならiqosの方が頭や胸が真っ白に占められる感覚がないので最近は気に入ってきて、さらには愛用していたテリア・オアシスパールが最近の出張先で購入しようとしたところ実は人気すぎて都心などでしか売られていなかったという事実に直面し、そのことによってさらなる愛着が芽生えて吸っていたところで、吸いすぎてしまった結果だろうか、吸っていたら割れるように頭が痛くなるという事態に至った。ちょうどアルコールの摂取しすぎにこれは似ているかもしれない。僕は非常に酒に弱く、一杯で出来上がるというか何なら一杯も飲めないかもしれないくらいであり、そうはいっても飲むだけなら6杯くらい飲めるが、その後にたいへんな頭痛や吐き気に襲われるし、最近はとうとう一杯未満でそういう目に遭うことも出てきてしまった。とはいえ吐くのはサブの事象であって、主要な苦しみは頭痛だ。それに似ている。頭の血管が緊張し、締め付けられるように痛む。

 

まあだから何だという話で、これを読んでいる奇特な人々にはまったく喫煙には近寄らないことをおすすめする。いいことしかない。僕も可能なら一刻も早く離縁したい。しいて何かを語るとすれば、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』で上映中に本当にひっきりなしに水木が紙煙草に火をつけて吸い続けるものだから、禁煙中の人はおろか、無縁の人にも興味を持たされたのではないかと思うところで、僕などはまあ終わったら一服することができるからいいかという気持ちになる程度で済むところだが、この映画といい『NANA』の劇場版といい、異常に美味そうに煙草を吸う描写をすることで観客の喫煙欲を刺激するというのは本当にインモラルなことだが、と同時にこれこそがエンターテインメントでもあると思うのだった。

 

実用性があるような見た目のまとまりを持った文章はnoteに打つ。いつまでやるかはわからないが、思いつきはこのはてなブログで。